可憐な季節、總持寺へ行く❣
3月13日、自宅近所の木蓮が咲いた。まだ小ぶりだがその白さが初々しい。白無垢の花嫁さんのような可憐さがある。
真砂女さんの潔さが表れた句である。スパッと切る鋭さが魅力である。
春燈の藤田湘子先生は、真砂女さんを評し「鈴木真砂女の名を聞いて私が連想するのは、小柄であることと、『卯波』の店の中を小走りに歩く下駄の音、である」と書いている。
さて、私は長く神奈川県内に住み、そして、大学から会社員勤めの何十年横須賀線や東海道線を利用しながら、横浜市鶴見区にある曹洞宗の総本山總持寺を訪れたことがなかった。JR鶴見駅から徒歩5分くらいのところにある。
いつか行ってみようという気持ちがあったが、「いつか行こう」は具体化しないのが常である。
山門の様子。立派な門構え。屋根の反り、くみ上げた梁。
※専門的な用語がわからないのでお許しを。
屋根のカーブが見事。どうやってこの曲線を実現できたのだろう。
こちらも重厚な建築物。専門的にはなんというのか。己の知識のなさを歯がゆく感じる。
隅の椅子に座って、奥の暗い祭壇を見つめる。お香のかをりに包まれて、静かな時が流れる。
こちらが、仏殿で木造だ。大祖堂より小さいが素晴らしい建築で、屋根の反り方、その屋根の下の木材の組み方が複雑極まりない。
ここにご本尊の釈迦如来立像が安置されている。堂内に入ることは出来ず、小窓からそのお姿を拝するのだが、キラッと光るお顔を見せていただいてとても有り難い気持ちになった。
仏殿の前は芝生が広がり、卒園式を終えたお母さん方と子供たちが弁当を広げていた。こんな光景は、都会のお寺、例えば浅草寺などでは到底お目にかかれないものである。花の咲く木の下で一人、子供が遊んでいた。
長い渡り廊下が続く。磨き上げられた板の上を、一人の僧侶が黒い法衣をなびかせながら風のように過ぎ去って行った。
掃除も修行の一つ。早朝に修行僧たちが、雑巾がけをしているのだろう。清浄感のある廊下…もしかすると座禅の修行もここでやるのかも知れない。
容(かたち)の良い木だが、何という名前だろう。また、木の葉が広がったころ訪れてみたい。
鮮やかな花が咲き、そこここで境内を彩っている。
「生涯を恋にかけたる桜かな」 (鈴木真砂女)
本格的な花の時期は、もう少し。
修行僧が日々自己研鑽に勤める、厳しい修行の生活を送る寺。
静けさの中に、私はいた。