おぎのやの釜でご飯を炊く
「白粉(おしろい)の花が其処には咲いてゐて」(京極杞陽)
朝、足元の道端に白粉花(おしろいばな)が咲いていた。普段からよく歩いている道に何気なく、つつましやかだ。花言葉は「臆病」「内気」「恋を疑う」
さて、8月に山梨県北杜市の清里に行った折、お土産で買い求めたおぎのやの「峠の釜めし」。その時のブログで、食べ終わった釜を使ってご飯を炊いたことを書いたが、今回はその炊き方を詳しくご紹介してみようと思う。
私は、お休みの時このお釜でご飯を炊くことにしている。仕事を頑張った自分へのご褒美である。
「夕野分(ゆふのわき)己ひとりの米をとぎ」(昭和39年鈴木真砂女)
米は一合で、入れる水の量は200㏄。しかし出来上がったご飯が固めに感じるので、220㏄くらいにするとやや柔らかめでいいように思う。
専用の蓋をきちんと閉め、最低30分は水に米を浸してガスコンロに載せる。
火加減は、ごく弱火。「始めチョロチョロ、中パッパ」という言葉をしっかり守ることが大事。火を強くするタイミングは、蓋を手のひらで触ってみて、温まってきたな、少し熱くなってきたかなという所で火を強くする。
やがて、蓋のすき間から湯気が出てくる。勢いよく吹き出してくる。「赤子泣いても蓋取るな」である。
こうなってきたら、この場から離れてはいけない。ここからが勝負の、美味しいご飯が食べられるかどうかの山場、クレイマックスを迎えるのだから。
ここは、自分の嗅覚が問われる場面だ。湯気の中に、ご飯の匂いを嗅ぎ取るのである。お米が、ご飯になるかどうかの分かれ目だ。ほのかにお焦げの出来る匂いがしてきたら、完成間近。
お焦げの匂いが濃くなってきたら、それはもう釜の底の米に火が通りすぎて黒くなりつつあるかも知れない。お好みだが、「ほのかな」香りがした時がちょうどよい。その時に火をパッと消す。
そして、15分から20分ほど蓋は取らずに「蒸らし」をする。
待ちに待った蓋を取る瞬間。蓋を取ると、そこには、つやつやでキラキラ輝くご飯が待っているはずだ。そして、食欲をそそるご飯の香りが周囲に広がる。香ばしいご飯の味は、郷愁である。
ご飯を優しくかき混ぜ、ふんわりと茶碗に盛る時、最高の食事になることを予想するだろう。もちろん、奥様の分も用意して。
炊きあがったご飯は、柔らかいけれど腰があって、噛んでいくと口中に広がる甘みがある。何杯でも食べられそうだ。
「ぬかみそへ漬けし生姜の秋涼し」(昭和29年鈴木真砂女)
ご飯の香り漂う中でいただく食事は、至福の瞬間。御御御付(おみおつけ)や漬物があれば言うことなし。同じく真砂女さんの句で、
「新涼や尾にも塩ふる焼肴」
次々におかずを連想するご飯は美味しい食事の基本、幸せな家庭の証しなのである。
※筆者は釜めしを3個購入し、それぞれ5回以上ご飯を炊いた。しかし、耐久性が弱いようでやがて底にヒビが入り、水が漏れてくるようになった。現在は1個だけ。素焼きの窯だから熱にそれほど強くないのだろう。それで今残る1個は、「中パッパ」と言ってもほとんど火を大きくしないようにして、ご飯を炊いている。また次のを買わなければいけない。2020/02/02