さよならヨコハマ
先月3月14日の夕焼け雲は、とても印象的な夕景となった。
月末には8年間務めた会社を退職する。会社の人たちが、焼き鳥屋で送別会を開いてくれるという。
3月31日夕方、ハマスタ前の喫茶店でコナコーヒーを注文し、一人を飲み始めた。
ここは私の仲人さんが初めて連れて来てくれた店だ。
鞄に入れたポケット詩集のページをめくり、濱口國雄の「便所掃除」という詩に目を留めた。そこで描かれたものは、この喫茶店の雰囲気に全く相容れないものだが、読み終えて心洗われたように感じた。
私にはここまでの体験はなかったが、同じ清掃という仕事で共感して読むことが出来た。
送別会の時間が迫り喫茶店を出る。JR関内駅前の大通公園では、パンジーの花がヨコハマの日暮れを待っている。
パンジーはヨコハマに似合う花。大人の雰囲気を持つヨコハマを可愛らしく表現する花だ。
「黄昏のビギン」というちあきなおみの歌を思い出すな。
「雨に濡れてた たそがれの街 あなたと逢った はじめての夜…」
送別会が焼き鳥屋で始まり、周りの酔客を気にしながら、私は先ほど喫茶店でメモに書いた挨拶文を読み上げた。
「皆さん、今日はお忙しいところ、そしてお疲れのところ、私の送別会に集まっていただき本当に有り難うございました。
私は、2014年12月に入社しました。大企業のK社など、いろいろなビル清掃の現場に行きました。そして上司が異動したり、私と同じ清掃の代行員仲間がコロコロ何人も入れ替わりましたが、私は生き残りました。
代行員は、清掃現場の人がお休みを取ったり、仕事を辞めて次の人が決まらないところに行って替わりに仕事をします。
横浜や川崎や三浦半島にも現場があります。だいたい朝が早いので、開始時間に間に合わせるために起きるのも大変です。数名のグループでやっているところは、やり方を教わり話しを聞きながらそこの清掃の仕方や、話しの中で人間関係を読み取り溶け込むための勉強をしました。
勉強といえば、K支店長からは東京のビルメンテナンス協会で行われた講習に3回も通わせていただきました。ポリッシャーの操作がうまく出来ず、ビルクリーニング技能士の資格は取りませんでしたが、講習で得た知識はその後とても役に立っています。
私のやっていたマンション清掃は、仕事自体は難しくはないけれど手を抜けば後で元に戻すのが大変になる。日頃からコツコツと掃除しなければいけない仕事です。
病院やホテルなどの清掃は、はるかに正確な知識と「修練」が求められる難しい仕事です。
私は、マンションの清掃を受け持つようになり、自分が掃除したところを振り返り「オー きれいになったな」などと一人悦に入ってました。まあ、なんとなくそんな気楽な面もある仕事です。
余談ながら…清掃の仕事には「後ろを振り向くな」という格言のようなものがあります…
ある時マンションの清掃中、若い女の人が「ピカピカにしてくれて有り難う」と笑顔で声をかけてくれました。
私はとても嬉しくなって、ガラスやステンレスをピカピカにするのが好きになりました。なにしろ、掃除をしていて横を通る人に感謝の言葉をかけられることなどは、ほとんど皆無でしたから。
まど・みちおという詩人の『くまさん』という詩があります。
はるがきて めがさめて
くまさん ぼんやりかんがえた
さいているのは たんぽぽだが
ええと ぼくはだれだっけ
だれだっけ
はるがきて めがさめて
くまさん ぼんやり かわにきた
みずにうつった いいかおみて
そうだ ぼくはくまだった
よかったな
いくつか転職し仕事人生45年。私もようやく自分が何をしたいのかわかったような気がします。
仕事にはパラダイスはありませんね。希望を持って飛び込んでも、唖然呆然とすることが多々あるでしょう。しかし、だからと言って後戻りはしないことですね。自分で選んでそこで働くということは、きっと何かのご縁があったのですから。
我が人生の流れに乗った結果なんですから。
コツコツ、毎日自分の気持ちを込めて働き続けることです。
この度、退職することを考えて次の仕事を見つけた時、そのようなことに気付かせてもらいました。
私はきっとこれから先、働き続けられる限りお掃除の仕事をやるでしょう。
私も『くまさん』と同様、自分というものに気付いて良かったと思います。
やっと気付けたのです。
皆さん、お陰様で有り難うございました。」
送別会でいただいた花。一週間経ったが、元気に咲いている。
ヨコハマの街よ、しばしお別れ。
これまで何編かヨコハマのことをブログに書いた。心がウキウキする街だった。
黄昏が、横浜市役所の解体現場を照らし出した。