伊勢佐木町ブルース
伊勢佐木町ブルースと言えば、1968年に発売された青江三奈の大ヒット曲。おしゃれな詞は川内康範。
「あなた知ってる 港ヨコハマ 街の並木に 潮風吹けば
花散る夜を 惜しむよに 伊勢佐木あたりに 灯(あかり)がともる」
横浜きっての繁華街。かつてこの歌が流行ったころは松坂屋が繁盛し、お金持ちのご婦人もたくさん訪れていたが、今は種々雑多なお店が軒を並べている。
道を行く人のおそらく半分以上は中国人や韓国人など日本人以外の人たちで、通りは雑然としているが、最近はボランティアの清掃員が街を掃除していて、束の間の清潔感を取り戻す。
中心部となる伊勢佐木モール。若い人から高齢の人まで、きれいに着飾った人から昔きれいだった人まで、スーツ姿で颯爽と歩く男性からぼんやりとベンチに座る男まで様々な人たちが集い、いつの間にか去ってゆく街。
誰も人のことを気にしようとしない街。
そしてこの通りの北側にはディープな街、福富町がある。
世の中きれいごとばかりじゃない。表と裏がある。表に見えるところと見えないところがある。
それが分かって来ると伊勢佐木町は楽しい街になる。いろいろなものを飲み込んで、生き抜いてゆく活力がある。たくましい街だ。
私の職場は、この伊勢佐木モールの近く、鎌倉街道に面したビルの中にあり会社の行き返りに伊勢佐木モールを歩いたり、時々裏通りを抜けて楽しんでいる。
昔からいる人によると、かつての裏通りは怖くて通れなかったというが、私は人の世の裏側を歩くようで何やら面白い。ようやく私も少しは世の中が分かって来たのか?
さてある朝、私は大通りから一本入った裏通りを歩いていた。
すると大声で男と女が罵り合う声が聞こえてくる。男が金をせびっているのだろうか。それに対して、女が「もう我慢できない、これっきりにして」と、言っているような。
ソープランドの先にある駐車場に差し掛かると、二人の姿が見えてきた。
今は、コインパーキングとなった駐車場。
黒いジャンパーを着た男がこちらに背を向け、長い髪の女と向き合っている。
足首まで隠れるざっくりとした黒のスカートをはいた女は、コンクリートの車止めに座り込み、男に涙声で叫び、文句を言い続けた。
男は、いわゆるヒモか。朝、店が終り出てきた女からいつものように金をもらおうとしたところ、女の抵抗にあったのか。言い争いは続く。
ゆっくりその場を通り過ぎた私は、ずっと若いころのことを思い出した。
山手線の電車に鶯谷あたりから乗って来て、私の真正面に座ったヤクザのことだ。周りに乗客はいない。こんなに間近でヤクザと対面するような状況は初めてだった。
その人は、小ぎれいな形(なり)をしているが、すべて尖っている。確か、水色の上下のスーツはピシッとアイロンがかけられ、黒いシャツを着ていた。
黒い靴はピカピカで先がつんとしていて、頬骨やあごは鋭角で痩せた顔に黒い影が浮かぶ。サングラスの中の目は見えないが、鋭さを帯び人を寄せ付けない凄みを感じる。
あまりじろじろ見るものではないと思いながら、その男の来るものを寄せ付けない気魄、男のかっこよさに見とれてしまった。
きっと修羅場を何度もくぐったのだろう。
今はどうしているだろうか。
鈴木真砂女さんの銀座の店にも、九州のヤクザが訪ねて来、静かに酒を飲んで帰ったことがあったという。その人は足を洗い俳句を作っていて、真砂女さんの店に訪ねて来たということだ。
「男の美学」は、男たるもの各自持っていなければならない。女に金をせびるような振舞は男じゃない。
男の美学とは何だろう。「紅の豚」の最後の方に、紅の豚とアメリカ野郎が、賞金と若い女の子を賭けて殴り合うシーンがあった。
二人ともボコボコになって戦っている。殴り合っているうちに、金も女もどこかにすっ飛び男と男の意地のぶつかり合いとなった。
男の美学とは、戦うことだと訴えているようだった。戦いを忘れた男は、ろくな生き方をしない。始末をつけないといけないのだ。
「恋と情けの…
どぅどぅびぃ、どぅびぃどぅびぃ、ドゥヴィドゥヴァー
灯がともる…」