熱海の湯けむり

 この一年、どこかに出かけることもなく過ごした。部屋の掃除を済ませ春の陽ざしが家の窓辺に差し込んできたところで思い立ち、妻と出かけようと話しがまとまった。3月5日の土曜日、10時14分発の東海道線熱海行に乗り込んだ。

 1時間弱で着いた熱海駅前は、10代後半から20代くらいの若い人が多かった。

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 駅前に置かれた軽便機関車。俳人鈴木真砂女さんがその昔、軽便機関車に乗って伊豆の旅をした話しを思い出す。機関車はこんなに小さかったのか。  

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 熱海プリンやバターあんこ?の店には若い人の長蛇の行列が出来ていたが、裏道に入るとイカの干物を作るお店があり、何故かほっとする。

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 何回も来ている熱海なので、今日は裏道をたどる。

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 小さな旅館や古いビルの谷間に通る細い道。旅館やデイサービスの送迎車が時折通過する。ふと先ほど通り過ぎた道を振り返ると、大きく輝く黄色。今頃木に咲く花と言えば、ミモザに違いない。3月8日の世界女性デーの象徴的な花。やっぱり戻ろうと踵を返した。

 昨年枝切りのミモザを買った際、花屋さんが「ミモザは大きな木なんですよ」と言っていた。なるほど大きな木だった。自然な状態のミモザを見たのは初めてだ。

 ミモザ咲きとりたる歳(トシ)のかぶさり来」 (飯島晴子)

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 古いビルに囲まれた、光が一杯の空き地にミモザの木があった。枝がかぶさるように垂れ、ビタミンカラーの黄色い花が太陽に照らされ眩しい。

 そう言えばと、1月31日は「愛妻の日」ということを思い出した。富山県砺波市で提唱されている。この日はチューリップが奥さんに贈られる習わし。

 私は、今年それが出来なかったので、2月の妻の誕生日に花簪(ハナカンザシ)を贈った。

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  「振り返る足元にあり花かんざし」 (須崎孝子)

 こじんまりとほのかな香りもある花で、慎ましいところがある。

 さて、温泉の街熱海。その変貌ぶりは目覚ましく見え、一時の不況を挽回したかのような賑わいを見せているが、それは一部のこと。まだまだ残る昭和の雰囲気の土産物屋さんや、洋服屋さんはどうだろう。店の人が店頭に出て、行き交う人波をじっと見つめている姿に時代の厳しさを感じる。

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 来宮神社の途中にある「野中の湯」。

 勢いよく湯けむりが上がる。せめて湯けむりシャワーを浴びて、温泉気分に浸ろうか。 

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 熱海には街角にこのように温泉がわき出している所が7,8か所ある。   

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 来宮神社の大楠。パワースポットと呼ばれている。境内はよく整備されていて、きれいな売店やカフェが並んでいる。カフェを利用しているのは、若い女性ばかり。カップルもいるが、「女一人旅」という方も多いように見えた。

 女性を引き寄せるパワーがないと、商売繁盛というわけにはいかないようだ。

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 来宮神社から坂道を海の方向に下る途中に、白いタンポポを見つけた。

 空に向かって咲いているようだ。素朴な美しさを感じる。

 「たんぽぽや日はいつまでも大空に」 中村汀女

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 別荘風のお宅の門のところに、山吹の花。

 「山吹の一重の花の重なりぬ」 (高野素十) 

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 熱海の海。寛一お宮の像は、左手にある。広く白い砂浜で遊ぶ人たち。

 大昔に来たことがある。中学生の時の夏だった。

 どんな理由だったのか、夜、親父とけんかして家を飛び出した。横須賀線から東海道線に乗り継いで、たどり着いたのが熱海だった。よく電車賃を持っていた。

 夜の温泉街の坂道をどうやって歩いたのだろうか。

 寛一お宮の浜辺に出て、しばらく海を眺めていたのではないかな。夏だったから、まわりには花火に興じる観光客もいただろう。

 砂浜は、今のように広くはなかったが、引き上げられた漁船が何艘も並べられていた。夜の海を眺めているうちに眠くなり、やがてその中の船によいしょと足を上げて乗り込み、横になった。身体にかけるものはない。

 おじさんの声が、タバコの臭いと共に近づいて来る。船の床板に身を擦り付けるようにじっと通り過ぎるのを待つ。そのうち、蚊がぷーんと振り払っても振り払っても寄って来た。ずいぶん刺されたと思う。

 朝は、明るくなるとすぐに目が覚めた。ぼやぼやしていると、漁師がやって来て船を海に出すかも知れない。船から這い出して、砂浜にザクッと降りた。

 太陽がずいぶん上がって来た。たまらなく腹が減り、浜辺近くの食堂に入った。広い食堂だった。2階にあったような記憶がある。今のジョナサンがあるあたり。

 そこで食べたアジの干物は美味かった。あの時のアジが最高だ。網の上で焼いて食べた。香ばしいアジの焼ける匂いが、お腹を鳴らす。ご飯がうまい。朝っぱらから一人で食事する中学生を、店のおばさんはいぶかしく眺めていたかも知れない。

 そんなこともあったな。

 私たちは、帰り道に路地裏にあった干物屋さんに寄りアジの干物を土産に買った。自家製とある。

 夕飯の時に焼いて食べた。小ぶりなアジだが、塩加減もよく脂の乗りもまずまずだった。妻に先ほどの話しをしたが、あまり興味はなさそうだった。

 干物を噛みしめて、ちびりちびりと。今宵は、日本酒が美味しく感じられた。

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