駅のホームで盲導犬に出会う

 「六月を奇麗な風の吹くことよ」正岡子規
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 早くも六月。梅雨入りもまもなくだろう。
 写真は先月末に近所のつつじを撮ったもの。つつじは前夜、雨が降ったためか、明るく元気いっぱいの様子。つつじの花言葉は、「節度」「慎み」。特に赤のつつじは「恋の喜び」。白いつつじは「初恋」。春らしい。
 ある日の新聞投書欄に『子供の物差し 大人は自覚を』という題の投書。
 《食パンや菓子パンの袋に応募シールがついていて、集めると景品がもらえる。その締め切りが迫ったある日、スーパーに行くと応募シールだけがはがされた食パンが山積みになっていた。景品欲しさにシールだけはがして持っていくのは許し難い行為だ…》
 この人は学校の先生らしいのだが、《学校でも生徒が机の上にファストフード店の紙ナプキンを箱ごと置いていたので注意すると、「親が『値段がついていないものは、売り物ではないから、取っても万引きにならない』と言った」》と答えたという。
 《大人は、子供に常識や自制心を教える立場にある。子供は、周囲の大人の対応をよく見ている。子供が真似をしても大丈夫なのかを物差しにして襟を正してほしい》と訴えていた。
 先日のこと、横浜駅のホームで列に並ぼうとすると、行列が出来てないところがあった。盲導犬を連れた男性がいたのだが、他の列は3人4人と並んでいる。
 私は、盲導犬を連れている人と近くになったことは、今までなかった。たくさんの人が右へ左へ流れる改札口付近で、盲導犬を連れた人が歩いているのを見たことがあった。今にもぶつかりそうな人波の中を、盲導犬が懸命にしかし淡々と歩いていた。
 どうぞご無事で。祈るように見て、すれ違った。
 私は、その男性と盲導犬が乗りこむときのことを想像した。そして、混みあっているであろう車内でどうなるかと思いめぐらした。
 電車がホームに、ピューンと滑り込んできた。ドアが開いて、人がどっと降りてくる。乗り込むときに、その男性と盲導犬を先に乗せて、私は後に付いて行った。離れてもよかったが、その人の横に並んで吊革につかまった。その人も吊革につかまった。私は、犬のしっぽや足が他の人に踏まれないかと心配で時々注意していた。
 次の駅で私の前の席が空いたので、「席が空きましたよ、どうぞ。」と言ってその人に座ってもらった。「有り難うございます。」と素直に言ってもらえたので、私の気持ちは軽くなった。盲導犬は前足を伸ばしてから腹ばいになり、開いた私の足の間にお尻を入れる形になった。
 やわらかい犬の感触。温かさも伝わってくるようだ。
 犬の鼻先が、お隣に座っているスカート姿の若い女性のふくらはぎに近づく。ちょっと声を上げそうな表情になる女性。
 おっとあぶない。
 盲導犬を連れた男性は、下車する時にもう一度「有り難うございました。」と言って、薄い目で私を見た。
 私は「どういたしまして」ではなく、「どうぞご無事で。」と答えた。
 日本は、障がい者への対応が不十分である。それは、どう対応すべきか慣れていないからかも知れない。またバリアフリーの程度がまだまだ低いからかも知れない。
 早く「どういたしまして。」と言えるようにならないといけない。
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 「あぢさゐや雨を憩ひのひと日とし」(昭和49年 鈴木真砂女
 あじさいの盛りは、これから。
令和元年6月2日 紅の豚次郎拝