電車に揺られ…館林へ(2)

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 さて、いきなり茂林寺のタヌキさんをお見せするのもなんですから、あとで訪問する館林美術館の「裏庭」をご紹介しました。
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 それでは、茂林寺と言えば、分福茶釜のタヌキさんですね。お待たせしました?
 茶釜のタヌキはかわいく作られています。
 やたらにでかいやつもいます。タヌキのアレって何を意味するのですかね。
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 創建は1426年。曹洞宗のお寺。お寺の中には、ゴルフクラブを振っている思わず吹き出したくなるタヌキのはく製も陳列されています。
 TVの「日本昔話」で出てくるおとぎ話として理解しておりましたが。人間と動物、相互共存を訴えているのかな。ユニークなお寺でした。
 それではと、案内役のKさん先を急ぎます。
 次は、正田記念館です。
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 館林駅の西口には日清製粉ミュージアムがあって、見ごたえ充分とのことですが、正田醤油本社敷地内にある、こちら正田記念館を案内していただきました。渋い情緒のある建物の中に入ると、醤油業を盛り立ててゆく正田家の歴史を知ることができます。皇后美智子様は、日清製粉会長であった正田英三郎氏のご長女。正田醤油は本家筋にあたるとのこと(ウイキペディアより)。
 若いころの美智子様のお写真も展示されております。
                                                                                    ※写真は産経新聞掲載の広告から。
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 ご婚約が決まったころの館林市内は、大騒ぎだったことでしょう。
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 次に向かったのは、館林美術館。広大な敷地は、都会にあっては実現できないことです。敷地に入っても特に入館料が取られるわけではないので、のんびり散策に最適ですね。
 人混みの嫌いな私。こんなにゆったりした気分になることは、日ごろ自分の近くではあまりありません。
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 広大な敷地や横長の館内(無料エリア)を横切って私たちが訪れたのは、フランスの彫刻家フランソワ・ポンポンのアトリエを模した別館です。(実際の建物より拡大されている)
 実はここの内装を手がけたのがUさんというので、是非見に行ってみたいと思ったのが、今回の館林行きのきっかけだったのです。残念ながら、室内は撮影禁止のためご紹介できませんが、いい雰囲気のアトリエになっていました。
 滑らかでつややかな質感の大きな鹿のブロンズ像が置いてありました《作品名:大鹿》。
 彼の他の作品は、美術館内に有料で展示されています。
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 別館の裏庭はこんな雰囲気。建物は、ポンポンの出身地ブルゴーニュ地方の農家をイメージしたものだそうです。
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 紅葉もそろそろ終わりです。美術館のメインではない裏側の方に、素敵な風景が広がってました。散策していた人は、好きな時に普通の道に戻ることが出来ます。こんなコンセプトの美術館は他にないのではないか。
 自分がフランスの片田舎にタイムスリップしたような一時を過ごしました。
 そして、Kさんが最後に案内してくれたのは、多々良沼の夕景でした。
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 心に染み入る風景でした。釣りをする人もいます。
 日ごろの雑事を忘れ、いつまでも見入っていたい眺めでした。遠い昔が思い出されるような詩的な光に全身が包まれました。
 
 多々良沼は、白鳥の飛来地として知られている。もう少し寒くなったら、たくさんの白鳥が羽を休めているのでしょう。
 もう一度、森高千里の「渡良瀬橋」の一節を書いてしまいます。
 『誰のせいでもない あなたがこの街で
  暮らせないこと わかっていたの
  なんども悩んだわ だけど私ここを
  離れて暮らすこと出来ない
  あなたが好きだと言った この街並みが
  今日も暮れてゆきます
  広い空と遠くの山々 二人で歩いた街
  夕日がきれいな街』
  戻らない青春…感傷的になりました。
 
 館林市は人口8万人。しかしその歴史は、遠く2万年前までさかのぼることができるらしい。そんな太古から人が生活していた街。
 多々良沼はその名から推察されるように、近辺でかつて鉄鋼を製造していた時代があったらしい。
 渡良瀬川も、館林と足利の間を流れていて、大きく言えば、利根川の支流の一つだが、明治から昭和にかけて足尾銅山の悲劇に巻き込まれた。
 「渡良瀬川鉱毒流れて 父祖五代 苦悩の汚染田いま改良なる」(板橋明治撰文)
 ゆっくりと日が暮れていきます。
 多々良沼の暮れゆく水面を眺めていると、この街の歴史の長さというのか、懐の深さを感じます。
 そして、残照の中で聞こえます。
 ありのままに生きて行こうという、光のささやきを。
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