掃除のポイント
前回「新潟古町散策」の中で、寄居浜から沖を眺めた時、半島のようなものが見えたと書いたが、あれはどうも佐渡島だろうという気になってきた。
見えますか。特にヨットの上あたり。
まあ、この仕事は地味と言えば地味。時々居住者から「有り難う」などと言ってもらって、それなりの充実感を味わっているのであります。自分のやったところを振り返って「きれいになったな、ピカピカだぜ」と自己満足に浸ったりもする。そんな単純な仕事ですが、掃除って本当に楽しいなと思いながらやってます。
この前もそうしてマンションの玄関口の掃き掃除をしておりました。そこにエレベーターから一人の若奥様が、ゴミ袋を持って出てきた。私は「おはようございます。」と声をかけたのだが、返事もなくゴミ置場の方に向かって行ってしまった。
まあ、返事がないこともよくあること。何か怒っているのかな。そのまま掃除を続けます。「隅っこ」が大事と、隅にたまったほこりや葉っぱをかき出します。
すると戻ってきた先ほどの若奥さんが、私の近くに来て「きれいにしてくれて有り難う‼ 階段なんかメッチャきれいになっている。」と言うではありませんか。
私は、半分あわててキョトンとしながら「いいえ、こちらこそ有り難うございます。」と返事をした。もうすでにエレベーターの前に立つ若奥様のうしろ姿をチラッと見て、ほうきを動かしながら、どこの階段のことを言っているのだろうと考えた。階段って、今日の朝、鳥のフンで階段が汚れていたので水洗いしたけど、そこのことかな?
ほめられるくらいなら、もしかしてもっときれいにしておけば良かったかな、などと反対方向に考え始めたりするのでした。
しばらく別の仕事をしながら思い出した。おととい、階段の排水溝に落ち葉がたまっているのを見つけたので、グレーチングを取って中にたまった葉っぱをきれいに掃き取ったのだった。きっとそのことを言っていたのだろう。
(葉っぱが排水口に詰まると雨水が流れず溢れだしてしまう。右に写っているのが、グレーチング。排水溝の蓋だ。)
としたら嬉しいなあ。あのグレーチングというやつは、とっても重たかったのだ。掃除が終わって元に戻すときガチャーンと大きな音がするのだ。それも一か所二か所ではない。十か所以上ある。
思い出して、もう一度様子を見に行った。溝はまだスッキリきれいになっている。
あの人はこのことを言ってくれたんだなと、先ほどの言葉を噛みしめた。
「メッチャきれいになっている。」
こんな誉め言葉は、もう二度と聞けないかも。
感謝感激の気持ちが、沸き起こって来たがもうお会いすることはないかも。
私が掃除の仕事に「開眼した」一遍の詩。
愛知県の杉林和子様作(当時73才)
『隅っこの詩』
「掃除の ポイントは 隅っこだ
埃は 隅っこにある
わたしの くらしも 隅っこだ
やりくりも 青息吐息
健康で 文化的な 最低生活でさえ、
たくさんの 隅っこ
ここにこそ 光を
ポイントは 隅っこだ」
清掃の仕事が素晴らしいと分かって丸4年。手にするのが、ほうきだろうと掃除機だろうと木布(もっぷ)だろうと「隅っこ」を意識して掃除している。
「隅っこ」が決め手なんだ。
『隅っこ、乾拭き、換気だよ』これが私の掃除3原則。ではまた次回。