生まれてバンザイ
「ねんねこの袖の奥なる赤子の手」(青柳 志解樹)
娘夫婦と夕食を囲んだ。
シシリアンライス。今日、連絡を受けて自分のアパートから駆け付け、娘を病院へ連れて行ったダンナは、モリモリ食べた。普段食事の時に飲む酒も彼は、今日は控えておくと言う。
それを聞いて、自分の時のことを思い出す。長女の時は、仕事を理由になんと出産後4日目に会いに行ったらしい。その後の出産も同じようなものだったとか。
全く‼ なんてこった。彼のように頼もしい姿は見せられなかったようだ。
日にちが変わって深夜2時過ぎ。静かに娘が私たちに声をかける。
「破水したみたい」
いよいよ陣痛が本格的になった。
暗い歩道を車を回すため、飛ぶように走るダンナさん。ゆっくりお腹を押さえるように夜道を歩く娘。やがて車のドアが閉まる音がして、ライトが遠ざかって行った。
「行ってらっしゃい」
朝8時前に出産。昼前にスマホを開くと、メールが届いていた。
「無事に赤ちゃん産めました。ありがとうございます」と。
「ほやほやで可愛いね。じいじのギターきかせてあげてね」と、粋なことを言う。
一緒に赤ちゃんの写真。目を開け上を見ている。その奥に娘の顔。二人とも元気そう。赤ちゃんの頭の毛はふさふさだ。赤ちゃんは笑っているように見えた。なんとかわいい表情だろう。もう笑うのか⁈
たまらない幸福感に包まれた。青空に向かって「有り難うございました」と言う。
ダンナさん、よかったね。
「バンザイの姿勢で眠りいる吾子よ そうだバンザイ生まれてバンザイ」(俵 万智)
バンザイおあずけ
紅葉している木が少ないけれど、去年も同じような風景だったかな。
朝の横浜大通公園。久しぶりに、そろそろ会社へ向かうか。今日は、娘の初出産の予定日。しかし、この日その兆候は現れなかった。
数日後、勤労感謝の日。昼前に仕事から帰ると、娘がお腹が張ると言う。
一時間後、ダンナが車を飛ばして迎えに来た。すぐに二人で病院へ向かう。車に乗り込むまでの間、バックを持ちながら、彼は後ろを歩く娘を気遣うようにゆっくり歩いた。
ソワソワ、ドキドキ、そして少しウキウキ。
しかし、2時間もすると病院から二人で戻って来た。まだ少し早かったらしい。
ダンナさんも行ったり来たり、疲れたろう。ご苦労さん。
もうじき夕暮れ。大山の周りの空もほんのり染まって来た。
「赤ん坊ひよいとかかへて紅葉山」(夏井いつき)
K・ヤイリギターを抱えたぜ
10月、横浜市の鴨居の街を歩いていると、線路沿いに最後のコスモスが青空に向かって咲いていた。可憐ではかなげな花だった。
夏に入る頃から、急にギターを弾いてみたいな、どんなギターがいいのかなと気になり始めた。
この一年、山下達郎の曲を毎日のように聞いた。ある時、伴奏で鳴っているギターの音がとても魅力的なことに気づいたからかも知れない。
軽快さでは「SOUTHBOUND#9」が一番。CD(COME ALONG3)のイラストは鈴木英人(スズキエイジン)で気分は明るいワクワク湘南。
この曲と決めて海岸沿いの道とばす君なり「ホテルカリフォルニア」(俵 万智)
歌われる一つ一つの詞(ことば)を確かめる。爪弾かれた弦の振動の、一つ一つの音が心に届く。
「水音(みずおと)と虫の音(ね)と我が心音(しんおん)と」 (西村和子)
楽器店に足を運んだ。モーリスのギター入門セットが良さそうだ。日本製だし作りもしっかりしているだろう。右奥のギターの色がいい。
これと決めて、店の人に声をかける。するとまだ若い店員さんは、「こちらもいいですが、このギターはどうですか」と言う。
店の高いところに吊り下げられていた、赤の入ったこげ茶色のギター。弦をはじくと、ボディーを震わせて深い音色が響いてくる。ジャラーンと弦をストロークすると、低音と高音が共鳴し合ってより深い音色を生み出す。
艶のあるボディー、丁寧な作り。艶というのは大事である。
「よし買った‼」。お値段は、モーリスのセットより2倍近いものとなって、女房にはなんと言おうか。店員さんはヤイリのファンだった。彼が熱くこれを勧めなければ、モーリスにしていたはず。
購入して3カ月。後悔は全くなし。いいものを手に入れた。
腕前は、しかし全くダメ。コードの練習でBm7の音が出せないでいる。短く太い指が原因だ。バレーコードが難しい。指が動かない。なかなかコードを覚えない。
しかしここであきらめる訳にはいかない。コツコツ練習するよ。そして、1年後にはギターを泣かせて、女房の心を震わせてやろう⁉
曲は、山下達郎の「ずっと一緒さ」。これで決まりだ。
「熱燗の夫にも捨てし夢あらむ」 (西村和子)
※2021年10月30日書き換え
ヨコスカうみかぜの道②
今日も雨模様。朝から降り続いている。
横須賀の大滝町から戦艦三笠へ至る「うみかぜの道」を歩いている。
「水辺にて」と題された山本正道作の少女像。横浜山下公園にある「赤い靴の女の子」の銅像もこの方の作品。
赤い靴を履いた女の子のモデル、岩崎きみちゃんは9歳で亡くなった。異国へ渡った両親の帰りを待っている姿と言われるが、諸説ある。
うみかぜの道にいる少女は腕を胸の前で組み、何か秘めた思いを確かめている。赤い靴の少女は両手を膝の上に置いて、遠くを見つめている。何かを待っているように。
水辺の少女像をはさんだ池の向こう側には…
カモメ?がおりまして、少女の姿を少し首を傾げるように見ているのでした。「何を考えているの?」とでも言うように。
さて、少女は何を考えているのだろうかとぼんやり歩いていた時、私は突然その人と「出合った」のでした。
「出合い」と題された雨宮敬子(あめのみやけいこ)の作品。作者は残念なことに2年前に亡くなられている。女性像を多く製作されたらしい。
みずみずしい女性像。何かに出合ってハッとしたように、今にも立ち上がりそうな動きや力感が、肩から腕の様子や指の開きに現れている。彼女のあこがれとか予感を感じさせるたたずまいだ。
突然の出合いを期待しながら歩く、うみかぜの道の散歩は楽しい。
そう私はあなたを待っているのです。
もしかしたら次の角を曲がったところで、高校の制服を着た妹が現れるかも、と。
「兄上さま」と、にっこり笑いながら。
ヨコスカうみかぜの道①
2021年5月の最後を彩る夕景か。いつもより夕焼けの色が濃くなったのと雲の形が面白く撮影。
その5月半ば横須賀に行って、法務局で実家の建物滅失登記をようやく済ませることができた。2度、3度通った。帰り道は、近くの三笠公園に足を向けゆっくり散歩。
右奥に戦艦三笠が「展示」されている。三笠の艦内を見学したのはすでに10年前。
この辺りの雰囲気もずいぶん変わったなあ。「うみかぜの道」と名付けられたプロムナードが出来上がっていた。
歩道と車道は、海辺の遊歩道らしく波止場のボラード(bollard:杭)で隔てらている。
この通りに面して、横須賀学院がある。妹の卒業した学校だ。
雨に濡れた正門の奥から、やがて勉強を終えた生徒たちが出て来るだろう。
「それから山 それから海 それから畑
それから神話の中の松林をとおりぬけ
何というはるかな道程ののちにそれはあったろう
ゆく手はいちめんの青草と見せて
生きもののような道が傾斜しつくすと
不意に途方もない大きさで端座した海 (中略)」
これは、牟礼慶子の『すばらしい海』という詩の始まりの部分。
この通りを歩いている途中で、不意に鈴木英人の作品と出会った。山下達郎などのレコードジャケット(CDも)を飾るイラストレーター、スズキエイジン。
学校の壁に沿うように、英人の絵が4枚ほどブロック塀のような壁に張り付けられている。日光にさらされたり、雨に打たれたり、土ぼこりを浴びることもあるだろう。
時には、子どもの投げるボールが幾度も当たったこともあるだろう。
にもかかわらず色あせることなく、絵の鮮度を保っている。どのようにして張り付けられているのだろうか。
きっと、初めて訪れた人は「エイジンじゃん!」と叫ぶに違いない。
たくさんの人が行き来し、荒れた砂の道。夕暮れ時、風が止まった道。やがて風が吹き、やさしく砂の上を撫でて行くだろう。
その向こうには、海が広がる。ほんのりと染まった空の下、海は波を寄せ、沖に返していた。その繰り返し。そして、月が静かに海を照らすだろう。
「遥(はる)かにも彼方(かなた)にありて月の海」 (中村草田男)
遊歩道のお掃除をしました
今週のお題「おうち時間2021」
5月4日は「みどりの日」。風薫る5月です。
近所の人と声を掛け合って、遊歩道の側溝をお掃除することにしました。
10時半になると、一人二人と集まって総勢7人。
その後知らない人だけど、一人プラス。
八重桜が咲き誇ったあと、落ちた花びらが風に寄せられている。
側溝には、土や小さな石ころを下敷きにして、その上に乾いておせんべい状に平べったくなった花びらが溜まる。それはやがて、一枚の板のように固まる。
それは排水口をふさいでしまうので、雨の時心配。
そして集まった。
平均年齢70才越え。だけど、ガンバル。
周辺の花たちも応援しているよ。
排水口がきれいになって、スッキリ。
ヤレヤレと、みんなで道具を倉庫に戻しに行った。
倉庫の手前に咲く藤の花が、目に染みた。
「白藤や揺りやみしかばうすみどり」 (芝 不器男)
年忘れは特になし
「年忘れ集ひ別れし過去未来」 (池内友次郎)
横浜の関内駅を出て大通り公園を歩く。朝の公園を急ぎ足で歩く人は勤め人。ゆっくりと歩く人はリタイアした高齢者か。
赤茶色に色づく三角錐の大木は何と言う木だろう。少し調べてみたが、分からない。落葉松(からまつ)だろうか。下の写真は、秋ごろに同じような位置から撮ったもの。
以前、山梨の清里高原へ行く途中でみた落葉松の黄葉は、光り輝くような黄色だった。また見に行きたいものだが、何しろこのご時世、旅行どころか忘年会も自粛自粛。
曲がりなりにも、私は勤め人のはしくれだが、何やら消化不良。
自宅でしみじみと味わう手酌酒。
今年は結構痛めつけられた年だった…
振り返ってみるに、今年のことは今まで色々なことに「始末」をつけてこなかったつけが回ってきたようなものだ。
起こったことを正面から受け止めず、流してばかりいたからだ。
物事にけじめをつけるということは、とても大事だ。
次々に反省の言葉がため息と共に出てくる。
「掛けとりもせねばならずと葱きざむ」 (昭和48年鈴木真砂女)