渡り廊下

 「はばかりてすがる十字架や夜半の秋」(芝 不器男)

 病院は、2カ月を超えての入院は出来ない。病が治癒していなくても出ざるを得ない。

 そこで患者の選択肢としては、他の病院に移るか、リハビリ目的の施設に移るとか、あるいは自宅療養で通院するとなるが、いづれも容易なことではないし、現実的な選択でないことが多い。何より病の症状によっては、そう簡単に出来ることではない。

 妹の入院している衣笠病院は、ホスピスを併設している。ホスピス=緩和ケア病棟は治療行為は行わない。苦しみを予防し和らげることが目的の施設だ。

 治療行為がないということは、本人はもちろん家族にとっても恐ろしいことである。

 有り体に言えば、「宣告」を明確に突き付けられたと同じである。万策尽きたと言うのか。

 それでもホスピスは「最後の場所ではない」と、患者と家族は力を振り絞って考えようとする。ホスピス行きを受け入れようとする。

 現実は受け入れざるを得ないと分かっていても。

 もう道は出来ている。 

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 この渡り廊下の向こうがホスピス病棟である。雨がちらつく中、妹はガラガラとベッドに横たわったまま運ばれた。

 「澄む水に映る十字架雨が消す」 (稲畑 汀子)

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 館内の廊下に飾ってある油絵。箱根芦ノ湖を描いたもので、柔らかなタッチと色彩が気持ちを落ち着かせる。

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 談話室で医師の診察が終わるのを待った。

 医師や看護師はとても献身的で、懸命に患者に寄り添おうとしている。

 病室にチャプレン(牧師)が訪ねて来た。ほとんど声を発することの出来ない患者と、言葉少なに目と目で心を通い合わせているようだった。

 最後に、妻が頬を寄せるようにして声をかけた。

 健気にほほ笑みながら、妹は有り難うと言い、ゆっくり手を振った。

 「十字架や野茨空しく生ひ茂る」 (寺田 寅彦)